病いと老いはいつか必ず自分の番がくる
漠然と親の介護をすることになるだろうと考えている。両親は共に元気に働いているし、大きな病気の心配も今のところないが、確実に増えた足腰の痛みの訴えなど小さな呟きから親の老いを感じる。
朝子が知らぬ間に「介護をする側」になっていたように、母も意識せぬままに「介護される側」になってしまったのだ。
まだ先。でもいつか自分の番が回ってくる。親の介護とは仕事とも違い、そう簡単に割り切って行えるものでもないのだろう。そして、自分も介護される側になることを考えていかなくてはならない。
知らぬ間に介護役にされている人間がいるように、知らぬ間にかやの外にされている人間もいるということか。
病気は本人も家族も辛い。病気ではないけれど、私の場合は妊娠中も辛かった。主人はどうにもできない。出産というゴールがあるから夫婦で踏ん張れた。でも、ゴールが見えないときに共にいられるだろうか。
あなたの病にのまれないこと、巻き込まれないようにすること。
(省略)
無理にあなたを健常の世界に引き戻そうとすることは、違うのかもしれないし、私が病気の世界に踏み入っていく必要もない。両者の間に、壁があることを忘れてはいけない。でも、野生動物でない私たちは、誰もがいつか病むときがくる、老いるときがくること知っていますくることを知っています。だから、その壁を恐れる必要もないのです。
血が繋がっていても大変なのに、血も繋がっていない相手と長く生活する、生きていくということを朝子が夫の孝昭に書いた手紙で考えさせられた。
内容紹介
受診するほど病気じゃない。入院するほど病んでない。
けれど、どこか不安な私たちは、あのカフェで、病院の傍らにいることで、癒されている。
過去にあそこで「何かが良くなった」経験があるからだ。
『漢方小説』から10年。
新たな舞台は総合病院のカフェ。
ふた組の中年夫婦のこころと身体と病をえがく、カフェの醸し出す温かさが流れる長編小説。
お気に入り度 星2つ ★★☆
介護、病気。そして、夫婦とは何かについて考える小説