読み終わった後、あたたかい気持ちになれる本「しずく」西加奈子

 

 

「しずく」西加奈子

女どうしをテーマにした短編集。

西さんと言えば「猫」、表紙はもちろん「猫」、「猫」のお話も収録されいる。

幼馴染、老婦人と恋人(バツイチ)の娘、老婦人と若い小説家、旅行者と嘘つき女、二匹の雌猫、母と娘 ・・・。

 

 

しずく (光文社文庫)

しずく (光文社文庫)

 

 

目次・あらすじ

ランドセル

ビルのエレベーターで偶然再会したみっちゃんとくみちゃん。そのまま居酒屋に行き、二人でロサンゼルスに旅行に行くことになる。

灰皿

大きな一軒屋を若い女性小説家の坂崎さんに貸すことになった蓮田さん。坂崎さんは蓮田さんに挨拶をしに訪問してから度々訪れるようになる。

木蓮

恋人の娘マリを1日預かることになった私。子ども大嫌いな私は恋人のためにマリに必死で良い“お姉さん”に徹する。

善良な橋爪さんの善良な恋人を誘惑した女として社内中に知り渡ってしまった私は会社を辞め、南の離島に一人で旅立ち、みさきという女の子と知り合う。

しずく

シゲルとエミコが一緒に暮らすことになり、出会ったフクさんとサチさんは二匹の雌猫。一緒にいるようになるが喧嘩も日常茶飯事。

シャワーキャップ

二つ年下の恋人と同棲をすることになったのんちゃん。引越しの手伝いにやってきた母は無邪気で奔放。のんちゃんは母に彼のことを相談出来ないでいる。

 

バラメータ ※ネタバレあり

恋愛度   ★★☆☆☆ 星2つ

「人から自分という人間を決められること」に、あれほどの嫌悪を見せていた彼が、その点において私を軽んじていたことに、どうしようもなく腹が立った。 

「彼は自分に似ている」と信じていた人が違っていた。私という人間を「あとくされがない女」だと彼は勝手に決め付けていた。

男に「都合のいい女」と思われる女にだけにはなりたくない。

友情度   ★★★★☆ 星4つ

灰皿

年の離れた女性の交友が書かれている。

挨拶にやってき坂崎さんから手渡された包みに入っていた「おおきなしろいいえ」という絵本。ページに挟めてあった紙には「この家に、あなたんちが似てるの」と書いてある。

そして、思いがけなく出来た友人に夫のことをどれだけ愛していたかを話すまでに至る。

こういう関係が羨ましい。

家族度   ★★★★☆ 星4つ

シャワーキャップ

赤ちゃんが笑うときのような笑顔を見せ、

「うん、お母さん、ほんまにほんまに幸せ!」

そして、こう言った。

「のんちゃんの、おかあさんになれて。」

 母親にこんなこと言われたら、嬉しいだろうな。

どことなく「漁港の肉子ちゃん」っぽい。

 私もいつか子ども出来たら照れずに言いたい。

「のんちゃんがお腹に出来たときな、まっさきにな、女の子やったらええなぁ、て思ってん。ほら、女の子やったら、いろんな話もできるし、こうやって一緒に買い物も行けるやろ?」

 同感。

私も女の子がいいなぁーと思う。お腹に子どもはいないけど。

イケメン度   ★★☆☆☆ 星2つ

木蓮

イケメンで仕事が出来て優しい恋人。

彼を紹介してくれた友人から「あんたのこと、一生許さない」と書かれた手紙が届くのだから相当素敵な男性なのだろう。

オシャレ度   ★★☆☆☆ 星2つ

木蓮

彼と同じ素材の麻の素材の藍色のワンピースに、白いコットンのカーディガン。靴下は青と白のボーダー。この年の女の子にしたら、とてもシンプルな服だ。 

さすがオーガニック好きの彼とフライトアテンダントの彼の前妻だけある。

グルメ度   ★★☆☆☆ 星2つ

しずく

シゲルとエミコの「オイワイ」のご馳走。

猫ではないけれど、カレイの身を「もっとくれ」音頭を踊りだしたくなる。

 

 

感想

私は「灰皿」「木蓮」「シャワーキャップ」が特に気に入った。

関西弁はキツイというイメージが私にはあるけれど、西さんの使う関西弁は親しみやすくて、優しい感じが伝わるから好き。

シャワーキャップ

夜、蛍光灯の下で話し合っている両親の、そのひっそりとした話し合いに参加したかった。姉妹で泣いているお母さんとおばさんを慰めたかった。

大人が隠していることの全てを、知りたかった。

そうだった、忘れてた。

私も小さい頃よく大人の話を聞きたがったけ。

母と母の友達との会話によく耳をすましていたことを思い出した。

「聞いててかわるのかしら?」と笑われていた。

懐かしいことを思い出せた。

皆の前で自分を演じていた私も、私にしか出来ない。嘘とつこうが、自分を作ろうが、それをするのはすべて「自分」なのだ。「ありのままの私」なんて、知らない。今この地面に足をつけている、この足こそが私のものだし、他の何者にだって、変わることは出来ない。変わりたい、と思っている自分がいるだけなのだ。

 人と知り合って、見ていて、話してみて、自分自身を知ることがある。